両親の教え
教育と実績が、信用を奪っていった。
両親の教育哲学
私の両親は、優れた人物ではなかったと思う。
父親は酒とタバコにおぼれていたし、母親は世間知らずだった。
父は勉学第一であり、母は教養第一だった。
ここでいう勉学とは、学校の試験勉強のことだ。教養とは、音楽や絵画などのことである。
両親のバラバラな価値観は、1つの点においてのみ一致していた。
「学校の教師を信用すべきではない」という点である。
両親は、教員免許を持ちながら、民間の企業で働いていた。
彼らにとって、教職というのは民間企業に採用してもらえなかったときの保険だったのだ。
保険を適用した人たちのことを、自分たちよりも劣っていると考えていたのかもしれない。
質問と逆上
両親は、6歳の私に教師を信用すべきでないと指導した。
私は、うのみにはしていなかったと思う。
授業でわからないことがあれば、教師に聞いていたからだ。
しかし、徐々に雲行きが怪しくなってくる。
子供特有の純粋で強烈な好奇心は、徐々に教師を困らせていった。
「なぜ?」「ほかには?」「こういうときは?」
教師は、少しずつ私の質問に答えなくなっていった。
私は、教師が解決してくれなかった疑問を、両親に聞いて解決するようになった。
あるとき、私のその行動に、教師が気付いて逆上した。
「お前は、俺が説明しても納得しなかったのに、親が説明したら納得するのか」
実のところ、教師の説明は説明ではなかったのだ。
教師がした説明は、「教科書の範囲外だからわからなくていい」というものだった。
信用の失墜
何度かそのようなことがあった。
子供ながらに、教師が怒っている理由に気づきはじめた。
教師は、知識不足ゆえに私の質問に答えられなかったのだ。
そして、自分に答えられなかった問題を、次の日には両親の指導のもの解決してくる子供が気に入らなかったのである。
今思うと、とりとめのない質問ばかりだった。
「日時計はなぜ、正午に真北に向かないのですか?」
これは、教師が答えられず、両親がすぐに解決した問題の1つだ。
私は、教師のことを、自分の好奇心を満たしてくれない存在であるとみなしはじめた。
教師の言う「分からなくていい」「知る必要がない」が、信用に値しないと考えるようになっていった。
9歳のころの話である。